藤川義久

理学療法士
リハビリテーション部門 部長

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リハビリの仕事をしようと思ったきっかけは

中学と高校の時にサッカーをやっていたんですが、腰を怪我してしまって病院でリハビリを受けたんです。
その時にこういう仕事があるんだ、と初めて知ったんですが、ちょうど高校を卒業する年に大田原に国際医療福祉大学ができて、将来、リハビリの仕事をしたいな、という気持ちになっていたので、その大学に行って勉強することにしたんです。 腰を怪我した時は、痛くてサッカーどころか体育もできなかったんですけど、リハビリを受けていると、どんどん体が治っていくんですよ。
運動の指導をしてもらうと、どんどん動けるようになる。 そういう経験から自分もそういう仕事をしたいと思うようになりました。

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医療法人社団弘徳会へ入るきっかけは

理学療法士になって塩原温泉病院に17年間勤めていたんですが、リハビリの専門の病院なので、入院した患者さんをご自宅に帰すためのリハビリをずっとやるわけです。 でも、退院して自宅に帰るとなかなかうまく生活できないとか、また体が動かなくなってきたとか、そういう話を聞くんですよ。 私の仕事は病院でリハビリをして、退院してもらうわけですけど、患者さん本人やご家族は退院してからがスタートで、それからもリハビリが受けられる環境じゃないといけないんだなと、ずっと思っていたんです。
訪問や通所のリハビリテーション施設が充実しないかな、と思っていたんですけど、そういう施設はなかなかない。「自分がやろう!」とここ3~4年ずっと考えてきました。 でも病院での仕事もあるし、揺れ動いていたら知り合いのケアマネージャーさんから菊地先生を紹介されてお話したら、すごく先生の考えに共感できて、ここでやろうと決心がついたんです。

医療法人社団弘徳会へ入る時

心配したこと迷ったこと

塩原温泉病院では課長補佐という立場で100人弱のスタッフがいたんですよ。 だから管理職として職員たちの働きやすい環境を作っていかないといけなかったし、ちょうど辞めようと思った時に上司の課長も退職する時期と重なってしまって・・・。 辞めるのはタイミング的にまずいかな、と迷いましたけど、3~4年ずっと悩んできて菊地先生にお会いして、やっぱり自分がやりたいことは那須訪問診療所で地域に関わっていくということだったので、決心がついてからは躊躇することはなかったです。
妻に話した時に反対はありませんでした。妻とは同じ職場でしたし、仕事のことで数年間悩んでいたことを知っていたので「自分のやりたいことができるね。頑張ってね。」と賛成してくれました。

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リハビリの仕事をしている時に

印象に残っている人は

塩原温泉病院で働いていた時のことなんですけど、自分で歩けるようになって退院した方で70代の男性の方がいらっしゃったんですけど、自宅に帰ったら歩けなくなっちゃったそうなんです。 担当のケアマネージャーさんやご家族の方の話だと、「もっと病院でリハビリをしたい」とおっしゃられていると。 でも制度的な問題で再入院は難しい。通院も塩原までは来るのが大変。
そういう話を聞くと、やはり退院してからもリハビリを受けることは大切なんだな、と思って、病院を辞めて那須訪問診療所に行こうと決心したきっかけになった方ですね。

入職してから

平成28年2月に入職し、申請や書類の準備を経て4月から本格的に訪問リハビリを開始しました。あっという間の2年間でした。1人で始めた訪問リハビリも今年度4月で8名になり3年目のスタートです。高齢者だけでなく、精神分野、障害分野、小児分野と関わらせていただく分野も広がってきました。

また、他の事業所や施設との連携も深まり、今後もさらに活動の場を広げていきたいと考えています。スタッフ間の仲もよく、楽しく仕事が出来ています。
それぞれが相手を思いやり、優しい職場を作ってくれていてとても頼りになる仲間たちです。

訪問リハビリを行うにあったっての抱負

不幸にして体に障害を持ってしまった方も、まだまだやりたいことはあると思うんです。そういうことを少しでも実現できるようにお手伝いしたい。 その人の夢とか、目標とか、出来ていない状況を少しでもできるように、前を向いて過ごしていってもらうためのものを提供していきたいですね。
ただ、歩く練習とか関節を動かすとか、それが目的じゃなく、人生のサポートをしていけるように、そういうことが本当のリハビリだと思うんです。 本人がどういう風に生活していけるか、家族が介護や介助する時間が減って、もっと前を向いた人生を送ってもらうために少しでも関わっていきたいと思います。

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